日記(8)

ここで、コモドール社の「PET2001」に出会い、そのスタイルに惚れ込んでしましました。ディスプレイ(コンピュータ用でなくテレビを改造したもの)1体型で、キーボード、カセットテープレコーダーをすてきに配置してありました。
最初に買った「スピードマスター」もかっこ良かったからと言うのが購入動機でしたので、どうも私はスタイルから入るようです。
時間貸しで貸してくれるお店に頻繁に出入りするうちに、この「PET2001」に惚れ込んでしまい、このマシンであれば取引先管理ができるはずと勝手に決めて、またまたローンを組むことにしました。パソコンは金食い虫だと言いますが本当にそうですね。この辺は昔から変わりません。
大阪支社が日本橋にあったおかげで、購入した「PET2001」は直接、私の机の上に届けられました。すごくでかいダンボール箱から「PET2001」を意気揚々と引っ張り出した時の同僚達の第一声が「レジスター買ってどうする」でした。
確かにレジスターに似てはいましたが、マイコン自体が全然一般的ではなかった頃ですから仕方がありません。それにしても「おおー、マイコンかー!」くらいの反応があるとばかり思っていたので、がっかりしたのを覚えています。
しかし、この「レジスター」が意外な威力を発揮することになります。

日記(7)

大阪支社に転勤になってから、担当地域が広がったのと同時に担当する取引先が大幅に増えましたので、取引先管理の必要性が増してきました。
取引先からの受注があると、1週間まとめて取引先名、受注した商品名、数量、販売単価などを本社へテレタイプ(懐かしいです)で発信していましたが、会社のほうもオーディオ不況の時代を迎えていたこともあって、「予測生産」いわゆるサプライチェーンマネージメントを始めることとなり、営業担当者には6ヶ月先までの商品別受注見込みを報告するように指令が出ました。
何しろそれまでは、どんな商品を売ろうと販売目標金額だけをクリアーすれば、それでよかったのですが、今度はどの商品をどのくらい売るかまで事前に報告することになったのですから大変です。
色々と「予測生産」の関係の本を読んでみると、「ABC分析」だとか「季節変動指数」だとか、当時はじめて聞くようなことが書かれていましたが、これはマイコンで処理できるのではないかと考えました。
しかし、1ボードマイコンでは無理です。何せ、メモリーが16Kバイトしか乗っていません。たった16Kバイトの中に「タイニーベーシック」はあるわ、プログラムは入れなきゃならないわ、取引先や販売した商品などのデータもいるのでは、絶対に無理ですので新しいマイコンの購入を考え始めていました。
ちょうどその頃、大阪の日本橋電気街にアップルコンピュータやコモドールコンピュータなどを10台程度並べて、時間貸しで貸してくれるお店が出現したの頃です。(現在のインターネット喫茶のようなものです。当然、漫画本はありませんし、飲み物フリーなどのサービスも無しです)

日記(6)

そうこうしているうちに、東京の秋葉原営業所から大阪の支社に転勤となり、今度は日本橋界隈に出入りすることとなりましたが、このころになるとマイコン雑誌も星さんのところの「I/O」から西さんたちが独立し「アスキー」を発刊したり、電波新聞社の「マイコン」が出てきたりと、毎月かなりの情報が手に入るようになりました。
モトローラー社の「スピードマスター」で、アッセンブラを使ってこちょこちょと簡単なプログラム(窓に取り付けたセンサーからの信号を受け取ってブザーを鳴らす、なんていうプログラムです。何せ大阪支社に転勤したら、営業担当地域が四国全域で出張が月の半分となり、アパートの部屋が無用心でしたから)を組んだりしていました。
そのころ雑誌の付録(なんとソノシート)についてきた「タイニーベーシック」に出会い、アッセンブラと違って、コマンド、ステートメントでプログラムが組めることにびっくり。
「タイニーベーシック」の勉強を始めました。この「タイニーベーシック」は「2Kベーシック」とも呼ばれたように、たった2KバイトしかないBASIC言語で、扱えるのは整数の+32767から-32768まで、文字列は256バイト以内、変数も256個までという本当に原始的なBASIC言語でしたが、なにせ2Kバイトしかありませんで逆アッセンブルして、どのようにしてBASIC言語がプログラムを実行するのかを知るには本当に役に立ったと思います。
現在のマイクロソフトのビジュアルベーシックなどは、大きすぎて逆アッセンブルして解析するなど正気の沙汰ではありませんが、これからコンピュータの勉強を始められる方には、この「タイニーベーシック」のような自分の力で解析できるような、簡単なコンピュータ言語があれば理解もいっそう進むのではないかと思いますが。
どなたか、「タイニーベーシック」用シミュレーターでも作られませんか。

日記(5)

1976年になると、NECから1ボードマイコンキットのTK-80が販売され、秋葉原では電気館の4Fにあるセミナー会場で頻繁に講習会が開かれるようになりました。
当時、NECはレコードプレイヤーなどのオーディオ機器なども販売していましたので、顔なじみのNECの営業マンに頼み込んで、TK-80のユーザーでもないのに講習会に参加していました。
1ボードマイコンは、プログラムやデータの入出力にはカセットレコーダーを使っていたのですが、うまく動かないケースがほとんどでユーザーの悩みの種でした。講習会に参加されていた方が、講師の方に質問をしたところ「私はソフトウェア技術者ですので、ハードのことは判りません」と立ち往生されましたので、私が講師に代わって説明をしたことがあります。
入出力用のLSIである「8255」から、1ビットは2~2.5ボルト、0ビットは1ボルトの出力があり、それを300ボー程度のアナログ信号としてカセットテープレコーダーに記録するのですが、初期のTK-80はアナログ変換の回路に欠点があり、コンデンサーを1個回路上に追加してやるとスムーズに出力、入力ができるようになるのです。
こちらはオーディオ屋ですので、その辺のアナログ回路はお手の物で、入出力回路のどの部分にコンデンサーを追加すればよいかをホワイトボードに書きながら説明したのですが、後で講師の方から「よく判っておられるようですね」とお褒めの言葉をいただきましたが、判っているのはそこらあたりだけで、肝心のプログラムとなるとさっぱりという状態でした。

JUGEM超初心者

昨日、ここの記事を登録したはずなんだけど…
反映されていないな
何はともかく、ウェブログ初心者のバタバタを書いていきます。ベテランの方からはアドバイスを、同じ初心者の方は、どじな事をやっている反面教師としてみてください。
と 昨日はここまで書いて「アップロード」したんだけど、「登録」ボタンでないといけないのかな

日記(4)

いずれにしろ、モトローラー社の「スピードマスター」を買ったのはよいのですが、マニュアルは英文のままですから、苦手な英文を辞書を片手に必死で読んで、何とかしようと格闘していました。使えなければ、わざわざローンまで組んで購入したのが無駄になると、本当に必死でした。
この頃になると「I/O」などのマイコン雑誌が、ポツポツと発行されるようになり、ともかくマイコン関連の本が出ると片っ端から買って読んでました。

日記(3)

私が購入したのが、モトローラー社の「スピードマスター」というマイコンです。
参照 山田の里 さん
これは木製の箱の中にボードを格納して、表示用の8桁セグメントディスプレイと10進数キーボードが上部に取り付けてあるタイプのものでした。秋葉原の顔見知りの店員さんに頼み込んで安くしてもらったのですが、それでも8万円くらいしたような記憶があります。前にも書きましたが給料が12~3万円のころの話です。
他社の1ボードマイコンも同じような価格でしたが、ボードそのものがむき出しで表示用の8桁セグメントディスプレイと10進数キーボードもケーブルでつながったもので、見た目が悪い(変な話ですが、本当にかっこ悪かったんです)ので、購入対象にはなりませんでした。
あとから考えるとモトローラーは68系ですので、全盛を迎えるインテルの80系に比べると最初からマイナーなものを買い込んだわけです。
コンピュータの世界では「一番売れたものが一番よいもの」という格言があります。確かに当時のスペック的には、80系より68系のほうが1歩も2歩も進んでいましたが、いかんせん販売数量が伸びるのは、ご存知のように80系となってしまい、ますます68系はマイナーとなってしまいました。

日記(2)

しばらくするとマイクロコンピュータを取り扱うショップが増えてきました。秋葉原の電気館にあるショップは、ほとんど販売を始めたのではないかと思います。
次の年になると、インテル社、モトローラー社などから販売されはじめた1ボードマイコンがショップの店頭に並ぶようになりました。CPU1個だけのパッケージから、ボード上にCPUやメモリー、表示用の8桁セグメントディスプレイ、8085などの入出力用LSI、16進数キーボードなどを乗せた、本当に基本的なコンピュータと呼べる仕組みのものです。
私が勤務していたオーディオメーカーも、それまでのアナログだけの時代からデジタル技術を利用した商品の開発を企画している時でしたので「デジタルとは何ぞや」ということで、盛んに社内講習会が開かれはじめた時期でもあました。
私にとってデジタルオーディオと呼ばれるものを最初に耳にしたのは、デジタル技術を活用したソニーのPCMプロセッサー(多分PCM-1だったと思います)経由で聞くクラシックでした。
その時のオーケストラは(これも多分ですがカラヤン指揮のウィーンフィルではなかったかと思います)いずれにせよ、そのオーケストラの音は大変衝撃的で背筋が凍る想いがしました。それまで普段聞いているアナログレコードの音と違って、まったくノイズが無くクリアなのです。
本当にデジタル技術を勉強しなければ、オーディオの世界では「置いて行かれる!」という感じがしました。
手っ取り早く勉強するにはマイコンを購入するのが1番早そうだと思いましたが、いかんせん値段が高いので購入するには、それなりの決心がいりました。

日記(1)

私がパソコンを始めて知ったのは、1975年前後だったと記憶しています。
当時、オーディオメーカーの営業マンをしており、東京の秋葉原営業所に勤務していた関係で、毎日秋葉原の各ショップを訪問していました。
ある日、確か佐伯無線の電卓コーナーだったと思いますが、見慣れない商品がガラスケースの中に展示してありました。
顔見知りの店員さんに「これは何だ」と聞くと「コンピュータだ」という返事が返ってきました。
それまでのコンピュータのイメージは、大手企業のビルの一室全部を占領し、あたかも神殿にかしずくように技術者の人達が操作をしている、巨大な訳のわからないマシンといった感じでした。
それが、20cm位のみすぼらしい(本当にみすぼらしかった)ダンボールで作ったパッケージ箱に入れてある、1個の比較的大きい「LSI」がコンピュータだと言われても信じられないのは無理もありません。
これは、インテル社の8ビットマイクロコンピュータ「8008」だったのです。インテルの8ビットマイコンであれば「8080」だろうとおっしゃる方もおられるかも知れませんが、実は「8080」の前に「8008」があったのです。
店員さんに頼んで、ガラスケースの中からパッケージを出してもらって見たのですが、マニュアルは数ページしかないペラペラ、それもすべて英文で訳がわかりません。
「これでコンピュータなの」と店員さんに聞くと、当然店員さんも知識がありませんから、「仕入れ担当者から、そう言われているよ。俺も判らないけど、もう5セット売れたよ」との話です。当時の大型コンピュータメーカーの人達が買いに来ていたんですね。
価格は10万円くらいしたと思います。CPUである8ビットマイクロコンピュータ「8008」が1個入っているだけのパッケージがですよ。
当時の私の給料がだいたい12万円くらいだったと思いますので、冗談じゃなく、すごく高価なものでした。買いに来ていた大型コンピュータメーカーの人達も、多分会社経費で購入していたんでしょう。
ただ、このインテル社の8ビットマイクロコンピュータ「8008」は、「こんなものがコンピュータ??」と私に強い印象を与えたのは事実です。